発達障害

「居場所を作って、仲間を増やしたい」ASD当事者が人とのつながりを求める理由とは

集団では場の空気を読まないと、うまくやっていけない。

和やかな雰囲気の時には、世間話などの当たり障りのない会話をし、悲しげな雰囲気の時は、寄り添うようなことを言う必要がある。

もし場にそぐわない発言--例えば、和やかな雰囲気の時に論戦を仕掛けたり、悲しげな雰囲気の時にダメ出しを行ったりーーをすると集団から「変な人」と認定され、疎外されることになる。

集団生活を送る中で、空気を読むというのは必須なスキルだ。もし空気を読むことができないと生きていく困難が増していく。

そのため、他人の感情の機微を読むための脳機能が弱いASDの方々は、「空気を読めなくて、集団になじめない」という苦悩を抱えることが多い。

「必要以上に空気を読むことを求められる社会で、ASDの方々は、どんな苦悩を抱え、どのように折り合いをつけて生きているのか」

そんなことを疑問に思い、ASDとADHDを抱えるオギーさんに話をうかがった。

「幸せになるためには、安心して人とつながれる居場所が重要だと思います」

学校での人間関係がうまくいかず、家庭崩壊を経験しつつも、人とのつながりを作りながら前向きに生きていこうとする理由について教えてもらった。

自分から人が離れる理由を探して、ASDに行き着く

オギーさんは28歳で発達障害の診断を受けた。診断結果は、ASDとADHDの混合型。しかし、発達障害の診断が確定するまでには長い時間がかかった。

「はじめて発達障害を疑ったのは20代前半。自衛隊に勤めていた時のことです。人間関係を含めて、うまくいかないことが多かったんです。そんな時、発達障害の本を読んで、『ASDの特徴に当てはまることが多い』と思いました。昔からうまく人と関われなかったんですよ。ただ、当時は診断がおりませんでした」

診断が降りなかった後も、空気を読まない発言によるコミュニケーションのズレは続いた。

「職場で休み明けに会った人に悪気もなく『太りました?』と言ってしまったこともあります。その時は悪いことを言った自覚はないのですが、相手の反応がそっけなくなることで、『やってしまった』と気づくんです。他者の気持ちをくみ取ることが苦手なんですよね」

言ってはいけないことを言ってしまい、人が離れていくことを繰り返し体験したことにより、オギーさんは「自分は発達障害ではないか?」と強く疑い、インターネットで情報を集めはじめた。

そして、ツイッターで発達障害者の当事者に出会い、自分が発達障害だと確信。

自分の経歴と困りごとを細かく書き出し、その症状を医師に説明することで、ようやくASDとADHDの診断が降りた。

ここでひとつの疑問がある。

いくつか病院をまわって診断が降りなければ、自分のことを健常者もしくは発達障害のグレーゾーンとして認めそうなものだ。自分に発達障害がないと結論づけてもおかしくない。

それでも、オギーさんが自身の発達障害を疑い続けたのは、ASD傾向の強い父(未診断)による家庭崩壊を経験したからだという。

「父は人間関係で問題を起こし続けてたんですね。色んな人に『変な奴』と言われていました。大学院まで出たのですが、職を失い、酒を呑んでクダを巻くようになり、その影響で母はうつ病が悪化してーー最後は亡くなりました」

また、オギーさんは父親を癌で亡くしている。父親の闘病期間の中で2年の間、オギーさんは父親の看病をしていた。

「近くで父を見て、被害を受けたからこそ、自分が父と同じ傾向があることも分かるんです。絶対に理由があるぞって、昔から思っていました」

ASDの診断が降りたオギーさんは、他の当事者がどうやって生きているのかと疑問を持ち、発達障害者が互いに困りごとを話し合う「自助会」に通うようになる。

当事者の人たちとの交流に救われた

これまでの辛さがASD由来とわかったオギーさんは、他の当事者の話を聞いてみたいと思い、自助会に通い、オンラインコミュニティにも所属した。

「自助会やコニュニティには自分と同じ悩みを抱えている人がたくさんいました。よかった、自分は一人じゃないんだと安心しましたね。発達障害で運が悪かったと諦めながらも、幸せを求めて明るく生きている方々に会うことができて、俺も頑張ろうと思いました」

当事者との交流を重ねる時期、オギーさんはクローズ就労でエンジニアとして働くようになった。自衛隊をやめ、イベント会社に数年勤めた後、スクールに通い、エンジニアになったのだ。

職場の人間関係も、これまでの失敗から学んで、対策を施すことで、なんとかこなせてるという。

「自分が発達障害と分かってから、対策を打てるようになり、人間関係が改善しました。当事者との交流や本で学んで、場数をこなしたのが大きいです」

とにかく自分の特性を理解して場数を踏むことが重要と語るオギーさん。その熱の入った話し方からも前向きな人物である印象を受けるが、過去には自暴自棄になった時期もある。

「誰とも交流せずに、境遇を恨んで、嘆いていた時期もあります。家庭も自分の人間関係もうまくいかなかったので。でも、ひとりでネガティブになっても、底なし沼にハマっていくだけで、何もよくなりませんでした。父も同じです。ひとりで自暴自棄になって、悲惨なことになりました。孤独になると狂っちゃうんですよね」

孤独によって底なし沼にハマった経験を持つオギーさんは、発達障害当事者として様々な発信活動を行うようになる。

インターネットに救われたからこそ、オンラインでのイベントを増やしたい

現在、オギーさんはインターネットで主に3つの発信活動を行なっている。

このような活動を行なっている理由は2つ。

ひとつが、同じように悩んでいる人の助けになりたいという理由だ。

「当事者の人に自分のような惨めな思いをして欲しくないんですよね」

そしてもうひとつが、過去の悩んでいた自分を救いたいという理由だ。

「過去の自分を救うためにやっているというのもあります。自分はツイッターがきっかけで救われました。インターネットは障害者の手助けになると思うんですよ。いまはインターネットの新しい技術のメタバースを利用して、当事者の居場所を増やしていきたいです」

また、、過去にとらわれるだけではなく、未来の自分のためにも活動していきたいという。

「僕は、自助会を通じて、生きづらさを共感できたのがとても嬉しかったんです。同じような生きづらさを抱える人と、弱音を吐けて、楽しくいられて、一緒に頑張っていける、そんな場所があれば、希望を持って人生を歩むことができると思いました。自分で居場所を作って、仲間を増やしていきたいです」

家庭崩壊と自身の経験から孤独のつらさと仲間の大切さを実感するオギーさんは、しあわせに生きるため、人とつながりながら自分の人生をつむいでいく。

ABOUT ME
たんぺい
ぐんま在住。30代。 「日常をちょっとだけ楽しむ」をモットーにブログを書いています。 ブログのメインテーマ:ぐんま、雑記、発達障害、サウナなど

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