イメージを思い浮かべられず悩むことが多い。
リンゴでもバナナでも犬でも猫でもいいのだけど、頭の中ではっきりとイメージすることができない。
ぼんやり輪郭だけを思い浮かべたり、ある部分だけをイメージすることはできる。でも、カメラを引いて全体図を見ることくできない
この頭の中でイメージを描けない特性のために、仕事での困りごとが多い。
部品メーカーの仕事をしているので、打ち合わせの時に、ホワイトボードに細かい部品の絵を書いたり、工場での製造方法を図解することがよくある。ものすごく苦手だ。
他の人は難なくやれているのに、自分はまったくできない。業界に入って7年、どうにかならないかと努力はしてきたけど、改善の兆は見えない。
このイメージが浮かばない現象、ただ視覚処理能力が弱いだけと思っていた。
発達障害の検査でIQテストを受けたときに、目の情報処理能力がとても低いとわかったので、映像を脳みそにインプットする機能が弱いのだろうなと思っていた。


最近、イメージできない現象に名前がついていることを知った。
こころで映像を見れない人たちのことを、「アファンタジア」と呼ぶらしい。
「アファンタジア」について知るために、『アファンタジア イメージのない世界で生きる』を読んだ。
ちなみに、めちゃくちゃ面白かったです。脳内イメージ力が弱い人は読んで損はないと思います。
アファンタジアかどうかは、「あなたは心でイメージを視覚化できますか?」という言葉にピンとくるかどうかでわかるらしい。
僕は昔から悩んでいたので、すぐにピンときた。
念のために妻に「心でイメージを視覚できる?」と質問したら、「コイツ、また意味わからんことを言ってる」というような顔で無視された。
ピンとこなかったようなので、アファンタジアを見分ける質問として有効なのだと思う。
『アファンタジア イメージのない世界で生きる』とは
『アファンタジア イメージのない世界で生きる』は、海外のアファンタジアの当時者が書いた本です。
翻訳された方は、日本のアファンタジアの専門家である高橋純一先生と認知心理学の専門家である行場次朗先生。どちらの先生も本の後ろに書いてある経歴がすごかった。
内容としては、アファンタジア当事者21名の対談をまとめたもの。どういう共通項を持っているのか、どこが個人差なのか、どういう困難があるのか、詳しく書かれています。
当事者研究の要素が入っているので、純粋な学術本より読みやすいです。
本に登場する人は研究者だったり、作家だったり、芸術家だったり、様々です。
アファンタジアの特性についてはフラットに、特性を持っている人については前向きに書かれていました。読み心地よかったです。
言葉にするのは難しいがー単純に理解が深まったことでー私は自分自身をもっと助けることができるようになったこと、そのことが私にとって全てである。
『アファンタジア イメージのない世界で生きる』
この言葉はその通りだなと思いました。程度にもよりますが、自分の不利な部分を理解するのは、困りごとを薄めて生きやすくするためですからね。
アファンタジアは、スペクトラムらしい。発達障害と同じで、0か100ではなく、人によって程度が分かれる。
読んだ感想と自分に当てはまると思った部分
この本で、自分と同じ特性が何個か取り上げられていた。気になった部分をザーッと箇条書きにしようと思う。他の人に当てはまるかはわからない。
・読書するときに視覚をイメージすることはできないが、感じることはできる。
要素が少ない、聞く物語くらいであればボヤッとイメージできる。ただ、視覚イメージが鮮明すぎると本を読むのがキツくなる。
例えば、三島由紀夫。内省的なシーンは好きなのだけど、細かい映像描写が連続するシーンはイメージが追いつかないので読んでいて疲れる。逆に、聴覚的な小説である太宰治は読みやすい。
昔、日本文学をよく読んでいたけど、いま思うとリズムがあって、内省的なので読みやすかったからだろうなと思う。あと、ラノベやインターネットの文章も読みやすくて好き。
・記憶と感情が結びつく
これはまさしくその通り。僕も感情と記憶が強く結びついている。例えば、小学校の入学式。体育館に向かう廊下で整列して並んでいたときのことはよく覚えている。
その日は、雨が降りそうなくもりの日だった。電気のついていない廊下で、話したことのない人に挟まれて待っていると不安な気持ちになった。制服の胸ポケットにつけられた花をいじることでごまかした。
コンクリートの廊下からはひんやりとした空気がうわばきごしに伝わってくる。木造校舎の湿ったにおいがして、カラッとした日の匂いのする幼稚園とは違う場所にきたんだなと思い、すこし寂しい気持ちになった
まあ、こんな感じで覚えてることがいくつかある。普段は忘れてるけど、なんかの拍子にふと思い出すこともある。
ただ、思い出せるのは感情に結びつくシーンだけ。
本で「私の記憶は、まるでスイスチーズのよう、まるで穴だらけ」と書かれているけど、その通りだと思う。
・道案内ができない、方向感覚がない
自分が通って体で覚えてる道の案内はギリギリできる。地図を使っての案内は全くできない。
・今だけを生きる傾向がある。過去や未来は自分には関係ないので気にしない
ADHD傾向だと思っていたのだけど、僕も今しか存在しない。悩みが少なくなるので、個人的にはプラス面と思っている。
・イメージの変わりに言語で考える
これもプラス面。イメージできない代わりに言葉でどうにか説明しないといけなかったので、言語化する能力は鍛えられた気がする。
アファンタジア傾向者については、2つの主要なタイプがあるかもしれません。つまり、イメージの変わりに言語で考えるタイプ、概念やパターンで考えるタイプです。
『アファンタジア イメージのない世界で生きる』
アファンタジアって発達障害とも関係していそう
本に書かれている内容は、視覚処理が弱い発達障害の人と話す内容と重複することが多かった。もしかすると発達障害の人とアファンタジアは相関性があるのかなと思った。
例えば、聴力に問題はないけど聞き取れないAPDは発達障害の人に併発することが多い。アファンタジアも同じ可能性はある。

あと、個人的に気になっていることがある。ADHDの薬を飲み始めて、すこし視覚イメージできるようになったことだ。
https://kanmasukamasu.com/wp-admin/post.php?post=843&action=edit
鮮明にイメージはできないし、普通の人が見えるのを10とすると1くらいと思う。でも、昔よりはできるようになった。
ただの感想になってしまうのだけど、アファンタジアも注意機能と関係する部分はあるんじゃないかなと思う。
ちなみに、ここで書いているのは素人の妄想だ。寛大な心で「ふーん」と読み流して欲しい。
まとめ
義務教育が終わって、何かをイメージ化する仕事についていなければ、社会生活で大きな壁にはならないのかなと思う。
スマホのカメラや写真を好きに使うことが認められれば、より困難は無くなるし、未来はよくなる気がする。
ただ、自分の仕事は、アンチIT機器の昭和のおっさん達が多く、議事録はホワイトボードの手書しか認めない方々が多い。
あと、社内外ともに機密情報が多く、写真が認められないのでめんどいことになっている。
アファンタジアの概念が最近のものなので、使うときに注意は必要だし、視覚処理の弱さとの違いも気になる。
もっと色々わかれば、環境を避けることで生きやすくなる人も増えるとおもう。今後の研究に期待したいですね。
