数年前にブームになった、堀江さんの著書、多動力を読んだ。いまさらすぎる。
本のテーマは、好奇心のおもむくまま、動いて動いて色々なことをやっていこうというもの。
多動と言えばADHD,ADHDと言えば多動。
「もしや俺のADHD特性にも使い道になるヒントがあるのでは?」
こう思って、本書を読んだものの、自分ごととは思えず「堀江さん、突き抜けてんなー、すげえな」としか思えなかった。
堀江さんは、普通の人と視点が違っていて、かつ論理的なので、この本も読み物としては面白い。
でも、堀江さんと自分では能力の差がありすぎるので、当てはまらないことが多い。
もちろん参考になることもある。例えば、これ。
「今日は時間がないし疲れているから、冷凍食品をレンジでチンしよう」
こう割り切れると人生は一気に好転する。
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この文章は、子どもの弁当を作るとき、手作りにこだわる必要がないという文脈で書かれている。
めんどうだったり苦手なことをお金で解決するというのは、ADHDと暮らしていう上で役に立つ考え方だ。
食器を洗えないから紙の皿を使うとか、掃除ができないからヘルパーさんに依頼するとか、必要に応じて工夫することで、生活にゆとりができるようになる。
他にも本書で書かれている自分でやらないことを決めるといった考え方は、生きていく上で参考になる。
ただ、肝心の多動力を身につけようというテーマ。
これが自分のようなポンコツ型ADHDにはしっくりこない。
ちなみに多動力とは、好奇心を張りめぐらせ、色んなものにハマり、極めていく力ということらしい。
目的は、産業の壁がこわれたいま、いろんな能力を身につけ、壁を飛び越えられる人材になること。
言ってることは正しいと思う。
複数のスキルをかけ合わせて成功している人は、SNSでもよく見かける。
そういった人たちのスキルはすごい。自分の持っている、不注意と衝動性と痛風のどれかと交換して欲しいくらいだ。
ただ、多動力を身につけて活躍できるのは、もともと頭の回転、人を巻き込む力、動ける体力のある人だけじゃないかと思う。
仕事に必要な基礎能力を身につけていて、そこに多動力という名の行動力がそなわると、それはつよい。
自分は体力がなくてあまり動けないタイプだからこそ思うのだけど、行動できるってのはそれだけで武器になる。
思ったように結果がでなくても、経験は蓄積されていくし、人とのつながりや知識も増えるし、キャパオーバーにならなければ、人生はいい方向に向かう。行動できる人は、それだけですごい。
この本のターゲットは、社会である程度やっていけてるけど、安定に居続けようとしているビジネスパーソン。日本社会の中の上以上の層に向けた本だと思う。
自分のようなポンコツ型の集中できないADHDに必要なことは、多動力よりどちらかと言うととどまる力の方だ。
生活や仕事に必要なできないことを、休みながらでもちょっとずつ取り組んでいく継続力。
もちろん継続的になんどやっても、その場にとどまっても、どうしようもないことはある。その時はあきらめるしかない。
例えば、僕の場合は絵を書くこと。
空間認識能力が弱すぎて、直方体すらまともに書けないし、練習しても立体的なものは構造が把握できなくて、なにも書けない。
ここでなんで絵の話題をだすかと言うと、自分の仕事に関連するからだ。
細かい説明は省くけど、僕は製造業で働いていて、打ち合わせや報告書を書くとき、製品を紙に書きながら説明しないといけないことが多い。
でも、自分にとってそれはとても困難だった。

長いスパンでちょっとずつやっていくと、できなかったことも、ちょっとずつできるようになる。
例えば、人との距離感。
20歳くらいの時は、ADHDの衝動性で、失礼なことを言うことも多かったけど、怒られながらちょっとずつ改善して、32歳になったいま、ある程度抑えられるようになった。
例えば、不器用さ。
20歳くらいの時は、不器用すぎてハサミをまともに使えなかったり、ものの数を20以上数えられなかったりしたけど、32歳になったいま、ある程度はできるようになった。(ダンボールにものをうまく入れるとかは今もできない)
例えば、営業。
もともと人見知りでうまく話せないタイプだけど、働いて5年目くらいでコツがわかって、多少できるようになった。
5年〜10年くらいのスパンで過去を振り返ってみると、できるようになったことは、意外とある。
他の人からみると大したことなくても、自分にとっては大きなことだったりする。
自分の小さな成し遂げを見つめつつ、これからもどんどんできることは増えていくと希望をもち、いまできないことを投げ出さずに人生をすこしずつやっていきたい。
