HSPという心理学の考え方がある。
Highly sensitive personの略で、ある外部からの情報や刺激を受け取ったとき、その情報を深く処理してしまう人という意味だ。
具体的には、光や音に対して敏感だったり、感動的だったり、人からの反応を気にしすぎたりする人。繊細さんというような呼ばれ方をしている。
この繊細さは生まれつきのもので変えられないもの、というのがHSPの定説だ。
この考え方をはじめて聞いたとき、僕は、「自分の悩みを過小評価されて、苦しんでいる人が多いんだろうな」と思った。
あまり主語を大きくするのは好きではないのだけど、あくまで一般論として、日本という国家は足並みを揃えて歩いていくことが要求される。
しかもその歩くスピードは年々早いものを求められつつあり、歩きながらけん玉をしなさいというようなマルチタスク性能も求められるので、僕もそうだけど、脱落する人は増えている。もしくは脱落しなくても、きつくてきつくて仕方がない、という人も増えている。
きつさを抱えていても、自分の感覚的な苦しさは他の人にはなかなか理解されないわけで、なんらかの分かりやすい説明が必要なところに、登場したのがHSPという分かりやすく、自分で診断できる、ある程度の人にあてはまる考え方だ。
この考え方が登場したおかげで、生きづらさへの考え方のフレームワークがひとつできたわけで、前を向ける人が増えていったのは本当にいいことだ。
精神医学では認められていない考え方なので批判されることはあるものの、HSPという考え方が必要ということは、それだけ生きづらい人が増えている社会になっているということなんだと思う。社会構造の問題は大きい。
HSPの診断基準で、できないことを“〜できる”と言い換えているのは、無理やりポジティブ思考しているようで、モヤモヤする部分はあるのだけれど、それは物事への向きあい方の違いでしかないので、HSPという考え方自体を否定することはできない。もちろん精神医学という括りではなく、個人の生き方への考え方という意味で。
個人的にはHSPという状態はあってもおかしくないと思っている。
なんというか、これも肌感覚でしかないのだけど、音や光、コミュニケーション時の相手の反応に対して、必要以上に注意が向いてしまい、さらに脳みそがその情報をうまくフィルタリングできないってことはあると思う。
ASD傾向、感覚過敏、もしくは適応障害、抑うつと言いかえられると思わなくもないけど、外部刺激に過敏になる状態はあるし、ADHD当事者としても、脳みその機能に強弱があることは分かる。
情報処理の強弱はグラデーションなので、感覚過敏の弱いバージョンがあったとしても不思議ではない。
ただ、影響力のある人が、「HSPで救われたんだ!!」と声高に叫ぶことには、問題があると思う。
苦しんでいるHSPの人、二次障害の裏でHSPが分かってホッとした人、冷静に研究していたり、当時者会を開いている人は問題ない。
問題なのは、「素晴らしい考え方を広めたい」という善意からHSPの領域を拡大しようとしている人たちだ。
彼らにも苦しみがあるのだろうし、苦しみの原因がわかって、よかったという気持ちはわかる。広めて、色んな人が救われて欲しいという気持ちもわかる。
ただなあ、これはひねくれた卑屈な僕の偏見でしかないのだけど、声の大きい人って、自分が前を向けたら終わりで、出てくる問題は気にしないイメージが大きい。
例外の人はいるし、生きづらさがとれたらそのものを忘れるってのもわかる。
でも、叫ぶだけ叫んで、注意が必要な概念を広めて、問題がおこっても知らんぷりって人が多いような気がする。
例えば、HSPが広まったために、こういう問題が起こっているけど、「HSPは素晴らしい!!」と言っている人たちからは、なんの声も上がっていない。
まず、うつについて。
「HSPうつ」なんていうデタラメな概念が生み出されている。こんな診断名は、存在しない。
他にもNHKにも出演していて、本もたくさん出しているHSPの第一人者は、かなりスピリチュアルに寄っている。
スピリチュアルは人によっては、背中を後押しすることになるのでは必ずしも悪いわけではない。
すこし自信がないくらいの状態でサービスを利用するのは問題ないし、人になにか押しつけるのでないのなければ、いいサービスだと思う。
ただ、社会と気質の狭間で深刻に悩んでいる人、もしくは精神疾患で正常な判断を下せない可能性がある人に、カタカムナ理論という世界のどこにも存在しない理論を提唱して、前を向かせようというのは、ちょっと疑問が大きい。
また、HSPで一番売れている本を出している方は、HSPカウンセラーと名乗っている。
ちなみに、HSPカウンセラーという権威のある資格はない。
こういった野良カウンセラーの件は、この前、Yahooニュースでも問題として取り上げられていた。
HSPはあくまで心理学の新しく出てきたフレームの一つなので、医学と関係する部分とは距離をおいてほしいと思うのだ。
精神科を定期的に利用したり、自己責任でADHDのサプリ(サプリも発達障害に効くかどうか医学的な根拠はない)を飲んだりしている僕からすると、HSPがメンタル界隈に侵食してくると、変な情報が増えたり、ビジネスをして騙そうとしたり、HSPの思想を押してくる人が出てきたりして困る。
ただでさえ、自分の発達障害と向き合わないといけないのに、対処しないといけない変な問題が増える。
HSPという考え方もメンタル系と相性がいいので、どんどん侵食してくる。
こういうことをされると、「HSPって生まれつき、情報を深く処理できて、共感もできるのに、なぜHSPのことを少しでもパソコンで検索しないのだろうか?」という皮肉のひとつも言いたくなってしまうくらいだ。
まあ、ほとんどのHSPのひとは問題なくて、一部の声の大きい繊細な強者の話ではあるのだけど。
HSPという考え方は認めたいし、苦しんでいる人の考え方は尊重する。
メンタルや精神分野については、「生か死か」で迷っているくらい悩んでいる人もいるし、体力も精神力も残高ゼロの人も多いし、騙されやすい人も多いので(ブログで前に書いたけど僕も騙されやすい)、声の大きい人はもうすこし発信に配慮をしてほしいなと思うのだ。
