WAIS-Ⅳの検査を受けて、知覚推理だけが大きく弱い(78で境界域)ことが分かった。

知覚推理が弱いということは、目で見たものを理解する力が弱い。
例えば、レジ袋にきちんと物を詰めたり、間違い探しで間違いを見つけたり、何枚かの絵を見て法則性を見出すことだったりということが苦手になる。
この知覚推理の弱さについて、子ども用のWAISことWISC-Ⅳの解釈事例を見ていて、自分の書くことの苦手さについて思うことがあったので、振り返っていきたい。
自分のWAISのパターンは、PRI低型と言うらしい
これが、本に載っているWISCの代表解釈パターン。
各項目の日本語訳は、下記の通り。
VCI :言語理解
PRI:知覚推理
WM:ワーキングメモリー
PSI:処理速度
GAI:言語理解と知覚推理の基本検査によって算出された、一般知的能力指標。
WAISの4項目のばらつきが大きく、言語理解と知覚推理が同じくらいの場合、全知能の代わりに判断する基準として用いられている。
CPI:ワーキングメモリーと処理速度を測定する検査の評価点によって算出される認知熟達度指標。情報処理がどの程度スムーズにできるかを判断する基準として用いられている。
僕の場合は、PRI低型にあてはまる。
ちなみに、ADHDはGAI優位型、ASDはPRI高型、GAI優位型の人が多いらしい。
PRI低型の児童の解釈事例が当てはまりすぎて、驚いた
これはあくまで参考情報で誰にでもあてはまるわけではないのだけど、読んだ本に載っている、PRI低型の児童の解釈事例が自分すぎておどろいた。
「文字を正確に書くこと、流暢に読むことが難しい。読み書きが苦手で自信がなく、学習全般に遅れが出始めている」という相談の背景には「低い(境界域)〜平均の下」の範囲にあるPRIの弱さが一因していると推測される。PRIの質的情報で上述したように、図形を素早く知覚し分析したりする能力や空間的な位置関係を維持する能力といった視覚処理の力は弱いと推定される。このことが、平仮名の形が正しくとれないことや漢字の読み書きが2年以上遅れていること、図形問題や地図の苦手さにつながっていると推測される。
*マーカー部は僕が引いています。
図形問題の苦手さはなんとなくイメージしていたけど、文字の読み書きも知覚推理の弱さが影響しているらしい。
正直、読みの方も、自分は文章を読み飛ばすこともあるので分かるのだけど、どちらかというと書くことの方に苦手意識がある。
もちろん書くことの苦手さは知覚推理だけではなく、手先の不器用さもある。
ただ、頭の中に文字、ノートにどう書くかうまくイメージできなければ、アウトプットもうまくいくはずがない。
子どもの頃も、大人の今も字を書くのが苦手
子どもの頃から、僕は、字を書くのがメタクソに下手だった。
うまく書けないし、書いても怒られるので、文字を書くのが嫌なあまり、授業のノートを取らなくなり、小学校の4年生くらいから、全く勉強ができなくなった。
中学生や高校生になって参考書が充実するにつれて、ノートを取らない勉強法を取るようになり、勉強の遅れは取り戻せたけど、みんなが何もしなくても勉強のできる小学校で、自分だけテストの点数が取れないのは、かなりの苦痛だった。
そして今でも文字を書くのは苦手だ。
ミミズが這ったようなアンバランスな文字になるし、気をつけて普段の2倍以上の時間をかけて丁寧に書いても読めないと言われることも多い。
で、なにが問題かというと、文字の書き取りって、社会人になってもかなりあるし、文字が下手だと社会生活を送る困難さが増すんですよね。
例えば、会社。
伝票を書いたり、議事録をホワイトボードに書いたり、電話の取次でメモを書いたり、顧客との打ち合わせで取り交わす議事録を書いたり、とにかく文字を書く機会は多い。
文字を書くのが下手だと、先輩や上司から怒られるし、丁寧に書くとめちゃくちゃ時間がかかる上に疲れる。
ボイスレコーダーや写真、PCを活用できればいいのだけど、みんなで見れないとか、効率が悪いとか言われて、そもそも認められない。
これは僕がThe Japanこと製造業で働いていることもあるとは思うのだけど、打ち合わせでテクノロジーの利用は禁策である。
上司だけでなく、周りのご年配の方々からするとテクノロジーを使うとお高く止まっているように見えて、悪印象をもたれ、仕事をスムーズに進められなくなるからだ。
例えば、家庭。
子ども保育園に入ると、とにかく手書きの機会が増える。連絡帳は毎日書かないといけないし、いろんな申し込み書類も書かないといけないし、服なんかも子どもの名前を書かないといけない。
たぶん子どもが小学校にあがるともっと、増えると思う。
そもそもADHDにとって、事務手続きを忘れないでいるとか、ちゃんと提出するのは無理難題なのに、この手書きの増加によって、さらに生活の困難さが増す。
パートナーにやってもらえばいいという考えもあるが、共働きだとそうも言ってられない。
結局、分担してやるしかないし、書くことから逃げることはできない。
せめて書類や連絡帳をスマホで送信できるようにしてほしいと思うけど、それができるようになるのは100年後くらいな気がする。
まとめ
なんでもかんでも書かないといけないというのは、社会生活を送る上で、自分にとってまぎれもなく障害になっている。
僕にとって文字を書くことの苦痛さは、猫舌の人ががんばって熱いコーヒを飲むようなものだ。
これだけIT化が進んでいるので、ITをうまく活用できると問題なくなるのだけど、今の社会は上の人間の苦手さに忖度しないといけない社会だ。
上の人間がIT機器をよくわからないものとして嫌っている以上、なかなかむずかしい。
あまり社会という主語を使うのは好きではないのだけど、IT化だけは社会が進むのを待つしかない。
個人ではどうしようもない。
うまく書くことが困難な人もいると認められる社会じゃないと、道具を使うのはおそらく認められいのではないかと思う。
なんとか我慢しながら、隙をみてちょっとずつIT機器を使って、周りの人の考えが変わるのを待つしかない。

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