スマホ脳という、ベストセラーになっている本を読んだ。
本のテーマは、スマホの依存性について。簡単にまとめると、以下のような内容だった。
スマホは、好奇心を手軽に満たす道具であり、人間は好奇心が満たされるとドーパミンが分泌されて気持ちよくなる。
そうすると脳みそが、このスマホが快楽を与えてくれるものだと覚えてしまい、スマホをいつも気にしてしまうようになる。
これは脳が快楽を覚えてしまったがための依存症であり、症状を自覚しながら付き合っていかないと、メンタル的にもよくないし、集中力や注意力も下がってしまう。
僕自身もスマホは大好きで、電子書籍やら漫画やら入れているし、ツイッターなどのSNSも見るし、ブログなどの個人が書いた文章もよくみる。
暇になると、「新しい情報がないかな」とついスマホに触ってしまう。自分の意識の片隅には、いつもスマホがいる。
だから、スマホに依存性があることはわかる。
もし、自分がまだ子どもや大学生だったら、もっとスマホにハマっていただろうなと思う。
僕自身、大学生の頃、インターネットにハマって大学をサボりまくり単位を落としに落とした時期もあるから、新しい情報が欲しくて、ソワソワするという状態は理解できる。
ただ、多くの大人のADHDにとって、スマホの依存性ってそんなに高いものなのだろうかとも思ってしまう。
もちろん、ADHDといっても嗜好性は人それぞれだ。スマホでとても苦しい依存症に陥る人はいると思うので一概には言えない。
これからデジタルネイティブのADHDが社会にでるのが増えてくるにつれて、スマホ依存症が大きな問題になる可能性もある。
ただ、いまの段階で、多くの大人のADHDにとって、スマホよりも依存症のリスクがあるのは別のものなんじゃないかと思う。(子どもの場合、親の力でスマホは時間を限定した方がいいと思う。大人よりもコントロールできないので)
アルコール、ニコチン、カフェイン、精神薬、睡眠薬、セックス……
こういった昔から存在して、刺激の大きい嗜好品の方が、ドーパミンが不足しがちなADHDにとって依存症になりやすいんじゃないかと思う。
自分の場合、いつも眠っているADHDの脳みそを覚醒させるために、カフェインばかり取っていた時期があったけど、手軽にハマっていったし、ちょっと中毒気味だったし、減らそうとした時の離脱症状はきついものがあった。
スマホも中毒気味だし、いつも気にはしているけど、市場にあふれている嗜好品よりは中毒性はまだマシと感じる。
もちろんマシなだけで、いい訳ではないし、「気にしすぎて時間が溶けいくなー」という人はスマホをロックするアプリを使ったり、作業をしているときはスマホをカバンや別の部屋の見えないところに置くという方法で、物理的にスマホと距離をとるという対策をした方がいいとは思う。
ただ、1点、スマホというかSNSで依存症があって危なそうだなって思うものがある。
それは、怒り、怒りの発信は依存性があって危ういと思っている
というのも、怒りでもドーパミンは出るからだ。
人は、本来は自分の所属している集団以外を受け入れられず、攻撃するようにできています。
そのために重要な役割を果たしている神経伝達物質のうちの一つが、ドーパミンです。私たちが正義中毒になるとき、脳内ではドーパミンが分泌されています。ドーパミンは、快楽や意欲などを司っていて、脳を興奮させる神経伝達です。端的に言えば、気持ちいい状態を作り出しています。
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たしかに現実世界を見わたしても、いつも怒っている人は、自分の思い通りにならないストレスを怒ることで発散しているような気がする。
自分のことを振り返ってみても、やっぱりそうで、怒った時はモヤモヤしながらも頭がクリアになるような感覚はある。
だから、怒るということでドーパミンが出てなんかしらの快楽があるのだと思う。
正直、インターネットでは、怒りをあおるような情報も多く、自分とは関係なくても、他人が怒っていると、それに影響されて自分も怒りそうになることがある。
ただ、それって自分の体験でもなければ、自分の近い人の体験でもないし、怒ったとしてもなにもよくならない。
もし、自分もしくは自分に近い人の体験で許せないことがあった場合、自分達の存在をないものにされないためにも、発信する必要はある。
ただ、いわゆる社会のために、悪を叩くという正義の発想、これを個人的には気をつけないといけないと思っている。
社会のむかつくことと自分を繋げて、叩いて、気持ちよくなる。そうすると、気持ちよくなりたいためにむかつくことを自分から探しにいって、自分から怒りにいってしまう。
ドーパミン不足のADHDがこれをやってしまうと、怒りでドーパミンが出て、他人から承認されることでドーパミンが出て、怒り依存症になりそうな気がする。
結果として、気持ちはよくなるけど、自分の生活もよくならないし、意地も通せるわけではない、ただ怒りにとらわれた悲しきモンスターとなってしまう。
他人の怒りに同調するのは損しかない。
なので、他人のことで怒りそうになったら、「それは自分のことか?」と自分で問いかけるようにしている。
これはADHDの特性かわからないけど、僕は自他の境界があいまいになりがちで、他人の言われたことを自分が言われたかのように錯覚しやすいからだ。
他人と自分をしっかり分けて、自分のことをまずどうにかする、こういう考えでやっていきたいなと思う。
